廃校慕情#40 - 東栄町・東薗目小学校
2024年 02月 19日
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廃校は結構多いですね
いろいろな風情を楽しむことが出来ますが
その施設を上手に利用してるところは案外少ないのかも
しかし今の学校の設備は至れり尽くせりですね
でも、和太鼓集団に利活用されているとのこと。
ココなら、周りに遠慮なく、太鼓の練習に励めますね。
廃校の利活用、こういう芸能、芸術分野がイイのかもしれません。
これからますます廃校は増えるのでしょうね。
ボクの小学生の頃には、東西に長い旧村域だったので、
本校のほかに上分校と下分校があって、2年生までは本校に通うのが大変な子供たちは分校に通学していました。
3年生ともなるとはるばる歩いて本校に通うのですが、ボクは本校が近かったので病弱だった身には良かったです(^_^;)
その分校もいつの間にか解体されて残っていません。
日本各地には昔は栄えていた地域でも、今の都市部一極集中のあおりを受けて
消滅した集落もたくさんありそうですね。
この汲み取り式トイレのベンチレーション…
そう言えばそういうものがあったような気がする
程度の記憶しかありません♪
こういうのって当時にしては立派なトイレにしか
付いてなかったような・・?
バキュームカーの大きなタンクの横に付いてた
臭気抜きの管なら、とってもよく憶えています(^-^)
>『臭気筒』とか『臭突』とか呼ばれるもので、汲取便所全盛の時代にはどこの家にも当たり前の様にありました。
懐かしいものを見せてくれました。おそらくここに拝見しているものは、さび付いて回転はしないのでしょうか、昔の人は素晴らしいものを造ったものですね。
これにあの昭和中期までの手洗い器がそろえば最高ですね。上にあげて水を出す。あれも最高の工夫ですね。
国道から逸れて山道に入っていくと、こんな山奥に学校があるとは信じられないほどの秘境でしたよ。
昔の日本は、山奥まで人々の暮らしがあったのですね、今では信じられないです。
少子高齢化ですもんね、うちの近所の小学校も再生時は一学年6クラスありましたが、いまや2クラスです。
昔は分校を作って対処してましたが、いまは過疎地は廃校にして本校へバス通学、選択と集中が進んでいますね。
汲み取り式トイレのベンチレーション、地域差があるのかもしれません、私が幼少時を過ごした東京と愛知にはありましたね。
そういやバキュームカーも昨今は見なくなりましたし、汲み取り式トイレってもうほぼないのかもしれませんね。
この『臭気筒』、昔はいたるところで見かけましたが、いまや絶滅危惧種ですね、そもそも汲み取り式便所がなくなりました。
昭和中期までの手洗い器ですか・・・上にあげて水を出す・・・プールの目を洗うタイプの蛇口でしょうか。
宿場町も行った事がない・・・。
この差は何でしょうね。
↑の手洗い器、わたしも分かりますが、これを言葉で説明するのは難しいです。
穴の開いたバケツに水が入っている。
穴には栓がある。
その栓は自重によって閉じている。
その栓を押し上げると水が落ちて来ます。
師匠は被写体の撮影場所に依存しないタイプのフォトグラファーですから、廃校も宿場町も無縁でしょうね。
昭和のぶら下げるタイプの手洗い器、ようやく得心が行きました、時々給水する必要があるアレですね、知ってます♪
奥三河にこのような廃校が。。
『臭気筒』とか『臭突』
そう言われて見ればあった気がします。
私も昭和30年代生まれでどっぷり
黒顔羊さん世代ですから・・
昔 汲み取り便所でしたよね。
足踏み外したら大変な場所でした。
2010年3月に閉校になったのですね。
潰されずに残っている廃校
貴重ですね。
今は和太鼓集団『志多ら』の稽古場&事務所として、現役ですね。
奥三河は楽しいですね。
昭和30年代から40年代にかけて、日本の学校は素朴でしたね、お手洗いも水洗式なんてなかったような。(;・∀・)
ここを訪れたときはもう日も暮れかかっていて、あまり撮影できなかったのが残念でした。