徳川氏の菩提寺 - 大樹寺
2023年 05月 28日











愛知県岡崎市鴨田町広元5−1 大樹寺にて
やっぱり徳川系.......
豪華さがチラリですね
見応えがありますね
大河ドラマの影響で徳川関連の観光地は賑わってるのでしょうね
住職の言葉が後の日本に大きな影響を与えたようです。

様々に立場を変えて。その大樹寺の歴史の件もいろいろな形で出てますね。
私も故郷は浜松。今は浜松町近辺。徳川密度満載の場所ですが
でも大河になったからって、もうそれほど大騒ぎにはならないような。
故郷は浜松ですが、昔は天竜市。二俣城の方が馴染みがあります。
嫡男信康が切腹させられた城。毎年「信康祭り」をやってます。
いざ始まってみると、特に松潤の馬鹿さ具合がひどすぎるように思えて
もう今は見なくなりました(^▽^;)
元々は家康さんってボクは好きだっただけに、あ、今でも好きなのですが、
松潤の家康さんはどうも好きにはなれなかったです。
群馬でも、「徳川家発祥の地」として力を入れようとしていた太田市なんかは
ちょっと拍子抜けした感もありそうです。
まぁ、発祥の地と言っても、清和源氏出身を名乗りたかった徳川さんは、捏造ではありましょうが・・・・。
三つ葉葵の紋があるところはサスガですね!!!
キャプションを読むと立派なお寺に見えてきます♪
今や、どうする家康?と問われている家康公ですが
大樹寺の13代住職の一言で立ち直ったのですから
やっぱり、人間はやる気がないと先へ進めないってことですね♪
頑張ろう、葉月!!! (^^)v
ポチ☆彡×2
それにしても良くご存知ですね~! 私は読み方すら知らなかったです・・・(汗)
人間の人生ってどのように変わるかと言う大きな証拠です。人生の中で出会う大切な人は必ずいると思います。実は私も82年間で3人の方との出会いが無ければ今の自分は居ないと思っています・・・
岡崎、大好きなんです。
私もインスタにはあげたんですが^_^丁度人形供養をやってましたよ。流石のお写真の素晴らしさですね。私の場合、山門を通して岡崎城を見るのに必死で^^;
大河"どうする家康"での、この切腹未遂のシーンは松潤家康少し甘ちゃんな感じに思えましたが、不覚にもうるっとしちゃいました。
徳川家康ゆかりのお寺ですから、子孫の将軍家もねんごろにお付き合いされたようですね。
大河ドラマ、やはり影響は大きいですね、岡崎市は歴史が古いので、観光資産も豊富にありますね♪
今年は大河ドラマの影響で、岡崎市、浜松市、静岡市近辺は特需が生れてますね。
この写真を撮ったのは実はまだ冬の気配が濃厚だった早春なんですよ、今はもうこんな愁いのある影はないですね。(;・∀・)
なんと言っても家康は三英傑の一人、戦国時代の大河ドラマならほぼ出てくるでしょうからね。
浜松市って、市域がべらぼうに広いですよね、静岡市もそうですが、『市内』と言ってもピンキリですね。
地元なので「どうする家康」は楽しみにしていたんですが、ちょっと評判が芳しくなく、見ておりません。(-_-;)
私も三英傑の中では、家康が一番好きなんですよ、世評は一番悪いんですが、やはり乱世を統一したのは凄いです。
岡崎は三河の中でも一番観光資産が豊富ですね、やはり古い城下町は違います。
今では人口や産業規模で豊田市に及びませんが、文化的な深みでは岡崎の方がはるかに上ですね。
岡崎市はどこを見ても『葵の御紋』ばかりですね、さすが徳川のお膝元だけのことはあります。
大樹寺での自害未遂のエピソードは有名ですが、実際の家康はもっとしたたかで、無人の岡崎城をまんまとせしめたようです。^^
岡崎市の表玄関、東岡崎駅のお向かいに家康の騎馬像があり、そこには「厭離穢土、欣求浄土」の文字が刻まれています。^^
え゛・・・82歳でいらっしゃるのですか、素晴らしい、いまだにブログは現役なんですよねえ♪
おお、岡崎、大好きなんですか、私も大好きなんですよ、我家からは1時間弱のドライブ、被写体豊富で良い街です。^^
実はこの写真、3月初旬に撮ったものなんですよ、「どうする家康」が盛り上がってきたので、ようやく登場です。^^
ここの山門と、名古屋の建中寺の山門、よく似ていて見ごたえありますよね、ともに徳川家ゆかりのお寺です。
そうそう、ここの山門越しに岡崎城が見えると聞いてますが、この時はそれを忘れており、撮り忘れました。(;・∀・)
大樹寺の紹介、ありがとうございます。
なんどか山門の前は車で走った記憶があります。
私も4歳から10歳まで岡崎に住んでいました。
母の実家が岡崎の井田町でした。本家は大樹寺です。
家康のことで調べましたが、大樹寺の山門から岡崎城が
見えるんですね。そのラインをビスタラインと言うそう
です。昔、大樹寺から挙母まで鉄道が走っていました。
乗ったことがありますよ。もう廃線になってしまいました
が、その名残が真福寺の近くにありますよ。
昔、豊田から岡崎の高校へ通っていた人は、その路線で
岡崎まで出て、市電で移動していました。
そうそう、『ん百ん十年まえ、この場所に家康がいたんだ・・・」、と思うと不思議な気持ちになりますね。
万松寺の信長とかも同じノリですね、自分が三英傑と同じ空間を支配していると思うと、ちょっと感動したりします。^^
おお、お母様のご実家の本屋は大樹寺だったのですか、縁もゆかりもばっちりですね。
大樹寺から挙母への名鉄挙母線、話には聞いたことがありますよ、渡刈のあたりに駅の遺構が残っていますね。^^
立派で歴史を感じる静かな佇まいですね。さすが徳川家とあっ中は豪華で見どころありますね。