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Soul Eyes

黒顔羊のデジタルフォトギャラリー#2です。光蜥蜴(ヒカリトカゲ=光と影)や錆びたもの・滅びゆくものが大好きです。 自分の魂の目に感光したものは何でも撮ります。


by Black Face Sheep

戦前が残る広場

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このサーベルを手にしたブロンズ像は・・・



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どうやら明治天皇のようです。
明治天皇は大の写真嫌いだったそうで、同定するのは難しいんですけどね。



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その隣にはこんな女性がいました。
明治天皇の横・・・となればその皇后、昭憲皇太后でしょうか。
子供はいない皇后だったので、今の天皇陛下とは無関係な皇后ですね。




戦前が残る広場_d0353489_23040833.jpg
4

そのはるか手前には、こんなコンクリ製の武士の像がありました。
五色園ですから、制作したのは浅野祥雲氏でしょうか。

宗教テーマパーク五色園の場面数は24場面あると聞いていましたが、私が勘定すると23場面しかないんですよ。
ひょっとすると、これは幻の24番目の場面なのかもしれません。



戦前が残る広場_d0353489_23041195.jpg
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その武士の前には、こんな子供が座っていました。



戦前が残る広場_d0353489_23041656.jpg
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父親が息子に何かを言い渡している・・・そんな雰囲気でしたね。
ネットで調べて見ると、楠木正成と正行の桜井の別れの場面じゃないか、という説を見つけました。
国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話であり、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話だそうです。



戦前が残る広場_d0353489_23040380.jpg
7

明治天皇の像の前に楠木父子・・・皇国意識発揚の場所だったのでしょうか。
こんなところに、太平洋戦争期の歴史観を象徴するような眺めが残っているとは、意外でした。
とは言え、これらの像の意味が分かる人は、もうほとんど残っていないと思いますけどね。





愛知県日進市岩藤町一ノ廻間932番地31 五色園にて
SONY α7 III ILCE-7M3
Tamron 28-200mm F/2.8-5.6 Di III RXD (Model A071)
Adobe Lightroom Classic



戦前が残る広場_d0353489_22054560.png


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Commented by j-garden-hirasato at 2021-03-22 06:32
このエリアは、題材が題材だけに、
さすがに彩色が施されていませんね。
全うな作り方になっています。
作った浅野祥雲自身、
他のコンクリート像の作り方からして、
こういうのは、あまり作りたくなかったのでは、
と考えてしまいます。
Commented by NullPointer09 at 2021-03-22 08:54 x
昔々、母が友達と楽しそうに唱和していました。
「青葉茂れる櫻井の 里のわたりの夕まぐれ・・・」
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ・・・」。
聞けば二人は小学校の教科書の内容や唱歌をほとんど諳んじて
いるとのこと。
戦後の骨抜き教育を受けた私の世代には考えられないことです。
・・・と、そんな話をしただけで右翼だとか軍国主義の悪影響
だと言う人が絶えません。
近ごろでは、教科書から唱歌や童謡も消し去られているらしい
ですね。
なにしろ、「白地に赤く日の丸染めてああ美しい」と唄うのは
ケシカランのだとか。
Commented by jyuujin at 2021-03-22 10:07
考えてみれば、人類の歴史は武力を持った者たちが
世の中を支配するという構図が、長期間続いたわけですね

そうすると、ミャンマーなんて国はいまだにそれを引っ張って
いるということですね?
Commented by voyagers-x at 2021-03-22 10:32
おはようございます ‼️
易幟を振り返ると、ほんと人間は野蛮でしたね。
本能的なモノが当たり前に前前面に出てきて......
今の世で言うところの協力なんて概念がなかったのでしょうね
日本はやっぱり小国ですね
小国ながら頑張っていましたが、今後は大変でしょうね
歴史的な厳しい境遇をなんとかすり抜けてやって来たみたいな
そんな背景が銅像のシミや傷に歴史の重みと一緒に重なります
Commented by photofloyd at 2021-03-22 11:09
私はむしろ戦前の日本をもっと知って・・・そして日本らしい良いところは(これが大切なところですが)継いでいって欲しいと思いますね。

Commented by iwamoto at 2021-03-22 12:02 x
芝居にもなり、歌にも歌われた「桜井の別れ」ですね。
帝から下賜された短刀を、息子に授けます・・・。

ですから、短刀を渡している場面なら、間違いないのですが、
桜井の別れである可能性は高いと思います。
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:24
j-garden-hirasato さん、こんにちは。^^
ブロンズ像の明治天皇ご夫妻は浅野祥雲氏の作品ではないですが、コンクリ像は彼の手になる可能性がありますね。
このコンクリ像は無着色で補修もされていないようなので、意図的に公式の場面から外されたのかもしれませんね。
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:26
NullPointer09さん、こんにちは。^^
戦時中の教育が偏向していたのは間違いないですが、戦後の教育も同様に偏向しているように感じています。
ネガティブな過去をすべて否定してしまうと、アイデンティティの崩壊につながりかねないと思うのですけどねえ。
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:28
北の旅人さん、こんにちは。^^
おっしゃる通りですね、「人類の歴史は武力を持った者たちが世の中を支配する」と言う構図だったと思います。
いまだにそれは続いており、大英帝国、アメリカ合衆国、さらにはロシアや中国も同じ覇権主義の道を歩んでいますね。
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:31
voyagers-x さん、こんにちは。^^
いまだに人間は野蛮だと思いますよ、特に大国はやりたい放題ですからね。
砂漠の嵐の米国しかり、クリミアのロシア、チベットやウイグルの中国、さらにシリアやトルコ、北朝鮮も・・・(-_-;)
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:33
photofloyd さん、こんにちは。^^
確かに戦前の日本の軍国主義は様々な悲劇をもたらしましたが、良いこともあったと思います。
憶測ではなく事実ベースで、是々非々で歴史を教えていかないと、我々の子孫が気の毒だと思います。
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-22 16:47
iwamoto師匠、こんにちは。^^
おお、「桜井の別れ」をご存知でしたか、さすが博学でいらっしゃいます、短刀は父親と思しき武士が持っていますね。
かつては多くの日本人が共有していた知識や価値観、そんなに簡単に闇に葬ってしまってよいのか、と思ってしまいます。
Commented by Desire at 2021-03-22 23:37 x
いやはや、こんなものが…
明治の教育勅語と天皇礼讃という歴史を感じる瞬間でした
別に明治生まれではありませんが笑
しかし年期はいっている彫刻ですね
明治という上を目指したその時代
今の現状をなんとか維持したいという世相とは全く違ったもの、空気だったのでしょうねぇ
Commented by blackfacesheep2 at 2021-03-23 15:29
Desire さん、こんにちは。^^
戦前の日本の価値観が色濃く残った場所になっていましたよ、今は訪れる人はほぼいませんね。
明治天皇は日本がアジアで初の立憲君主制の近代国家になった象徴だったのかも、戦前は尊敬を集めていましたね。
by blackfacesheep2 | 2021-03-22 05:00 | Statues | Comments(14)