キリシタンを弔った葵の御紋
2020年 01月 29日
足立区もの隣荒川区にも江戸時代の供養場所が
あります。(因みに刑事罰とのこと)
昔の権力者たちは保身のために、酷い宗教弾圧やをやってきましたよね。
21世紀の今もなお、そういったことを続けている国家がある・・・しかも近隣に・・・愕然とします。(´・ω・`)
しかし、布教の真の目的は何だったのか。
布教を名目にして世界中で何が行われてきたか。
改宗しない者に対して何を行ったか。
日本のキリシタン大名は何をしたか。
それらをきちんと知っておかないと誤った理解になります。
大昔は権力第一主義で、人の人権なんて概念がありませんでしたね
酷い弾圧と人間性無視の支配でしたね
現代は........ まだ酷い状態が続いてる国家が近くにあります
人の思想って、変えるのはほんとに難しそう
ううむ、確かに・・・当時のキリスト教国、特にスペインやポルトガルがやった布教活動もひどかったですからね。
人間の歴史は自らが信じるものを信じない者たちを弾圧する歴史だったとも言えるかもしれません。(´・ω・`)
人権が考慮されるようになったのは、まだごく最近のことなのかもしれません。
おっしゃるように、現代でさえ、人権蹂躙はなはだしい国家はまだ残っていますからね。
尾張藩はキリシタンに対しては寛大だったのでしょうが、その上の徳川幕府が厳しかったのでしょうね。
焼夷弾が不発だったと聞くと、いろいろと超自然的な想像ができてしまいますね。
名古屋にもこういう場所があるんですね。
大阪の千日前通りなんかはもともと刑場で大坂の陣の時は死体置き場だったので僧侶の読経が千日間絶え間なく流れていたことから
千日前通りになったらしいですし。
徳川幕府がキリシタン禁制にし、さらに鎖国政策をとったのは、欧州の帝国主義を警戒したから、と言われていますね。
今、見てみると、5枚目は不必要かもしれませんねえ、あとで削除しておきましょう。
徳川家康といえば東照宮、絢爛豪華って印象がありますが、ここも徳川らしい意匠ですね。
へえ、大阪の千日前はそんな由来で名付けられたのですか・・・地名の理由を知ることって、大切ですね。
「千本松原」ときいて海津の木曽川の堤防かなと思いましたが、
大須近くの処刑場の名前だったのですね。
尾張藩でキリシタン弾圧のことは知りませんでしたが
やはり江戸初期にはあったのですね。
もし禁止されていなければ、爆発的に信者が増え
日本も植民地にされていたでしょうか?
たらればですが、歴史は面白いですねぇ♪
今回、東別院から北上して大須に向かったのですが、このあたりは初めて訪問する場所だったので面白かったです。^^
妙に徳川の葵の御紋が目立つ寺院が合ったので、入ってみたら、曰く因縁のある場所で驚きましたよ。
豊臣秀吉や徳川幕府のキリシタン禁制は一種のジェノサイドだったのかもしれませんね。
キリスト教国であるアメリカ軍の爆撃が不発で焼失を逃れた・・・偶然なのかもしれませんが、興味深いです。