ひそやかに丘の上に佇む昭和初期
2019年 10月 26日












にほんブログ村

心象風景写真 ブログランキングへ
以前、名古屋のそぞろ歩きをしたとき、
ココには行きましたね。
どうやって行ったかは、
もう、記憶も定かではありませんが…(笑)。
ポイント、ポイントは覚えていても、
その途中が全然…。
此処もいい感じですね。
名古屋周辺部には多くの素晴らしい建築物が保存されているのには感心します。
当地の場合は特殊で、被爆したため戦前から全体の姿をとどめているのは3か所くらいになってしまいました。
保存したくても原爆の被害は、それも許してくれないくらいのダメ-ジで。。。
ああ、昭和ももうこんなに昔になってしまったか・・・・
平成はともかく、令和はおまけの時代ですね(笑)
昭和、平成、令和と三代を生きたのは、幸せなのかも?
わが父は、明治、大正、昭和、平成と四代を生きました
ですね。
ずっとそのままの形で残り続けてるのが不思議に思う事があります
歴史的な重要なものだから残されてる?
でも管理されてるわけでもないし
持ち主不在で一定の年数が経てば取り壊し?
僕が死んだ後病院は市が勝手に壊すんだったら、そのまま放置しようか
でも子供に税金がいったらよくないから、いつか壊さなくちゃ........ダイナマイトでドカンとできたら簡単なのに.....
おお、ここを訪問してましたか、かなりの通ですね、さすが近代建築ファンだけのことはあります♪
ここ、名古屋人にもあまり知られてないんですよ、地下鉄の覚王山駅から歩いていけますよね。^^
私は昭和と平成がほぼ半分ずつ・・・昭和がちょっと長いかな、令和はおっしゃる通り、おまけですね。
子供のころ、明治生まれの人を見るとすごい年寄りに見えました・・・令和の子供が昭和生まれを見ると、同じことを考えるのかも。(-_-;)
ここは歴史的に重要ではあると思いますが、積極的に保存管理されているわけじゃないようです。
お嬢さんが病院の後を継ぐなら、壊さなくてもよいですよね、その可能性もあるんじゃないかと。^^
すでに故人となった黒川紀章さんのお父様の設計にかかわっているとはまさに時代を感じます。
こういう昭和の遺産は大切に保存し続けてほしいですね。
古き良きものはまさに絵になりますね。
歴史と時間の蓄積を感じさせる空間。
やっぱ昭和という時代は偉大ですね。
古くなってこれだけの魅力を放つ建物は平成ではなかなかお目にかかれないと思いますし。
武術の道場は、やはり伝統的な家屋の方が気合が入るんでしょうね、モダンな体育館とは相性が悪そうです。
そうですね、昭和は戦前・戦中・戦後でまるで違う時代かもしれません・・・それだけ長かった、ってことですね。
私も黒川紀章さんのお父上が建築家だったとは、昭和塾堂のことを調べるまで知りませんでしたよ。^^
昭和初期の建物なので耐震補強の問題があって一般公開されてないらしいんですが、名古屋市が買ってなんとかしてくれないかなあ。^^
やはり時間をかけて彫琢した風貌の魅力、たまりませんよね。
明治や大正ほどのレトロ感はないかもしれませんが、それでも今の時代にはない味わいを維持してました。^^